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Essay エッセイ

待つことの喜び

待つことの喜び

 子供のころ、毎朝友達と待ち合わせしていた場所に、何かの広告の看板がかかっていた。そこには「待ち人が来ないことは悲しいことではないのです。待つ人がいないよりはずっと」と書かれていた。わたしは友達を待ちながら、毎日毎日その言葉をくりかえし読んだ。待つ人がいるわたしは幸せなんだなと思った。

 ある日、遅刻ぎりぎりまで待っても友達は来なかった。学校に行ったら、その友達は別の友達と楽しそうに笑っていた。「いないから、先に行ったんだろうと思ったの。きっと、入れ違いだったんだね」とその友達は言ったけど、そうじゃないとわかっていた。次の日から、わたしには待つ人がいなくなった。

 学生時代、恋人と待ち合わせるのは、渋谷のモヤイ像の前とか、代官山の駅前の本屋さんとか、表参道の交差点の交番前とか、立って待つところが多かった。何かの思い違いや擦れ違いで彼と会えないことがあると、わたしはあの言葉を思い出した。「待ち人が来ないことは悲しいことではないのです。待つ人がいないよりはずっと」。ここで帰ってしまったら、それで終わってしまう。でも待っていれば、いつか会えるかもしれない。そんな気がして、ずっと待っていた。何時間も待って、やっと会えたこともあった。会えないこともあった。

 もう少し大人になると、喫茶店やバーで待ち合わせて、座って何か飲んだり煙草を吸ったり本を読んだりしながら快適に待つことを覚えた。もう雨に濡れることも寒さに震えることも、足が棒のようになることもない。そのうちに、携帯電話でいつでもどこでも連絡が取れるようになって、もう誰かを待つこともなくなった。それはいいことなのだけど、待つことの喜びもあったんだなと気づく。

 待ち人が来ないことは悲しいことではないのです。待つ人がいないよりはずっと。今でもわたしは、待たせるより、待つほうがいい。

Photo by MUKAI MUNETOSHI

Tags:

喜び, 待ち合わせ, 待つ

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