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Essay エッセイ

思い出の曲

思い出の曲

 思い出の曲が、ふいにどこかから流れてくる。一瞬にして、わたしの心をその曲を聞いていた頃へと連れて行く。スライドショーのように、そのとき見ていた景色を、そのとき夢中だったことを、そのとき隣にいた人のことを、目の前に広げて見せる。

 できることならもう一度戻りたい幸福な瞬間も、忘れてしまいたいつらい日々も、どちらも同じように鮮やかに再生される。どれもすべて、誰のものでもない、わたしの生きてきた時間なのだと思い知らされる。

 思い出の曲は、容赦なく、わたしの胸の奥底をぎゅうっとつかむ。丁寧にしまいこんだ、ふだんめったに姿を見せない感情まで、ひょいっと簡単に取り出してくる。涙がこぼれても、それがどんな涙なのかさえわからない。

 耐えられなくなって、わたしは耳を塞ぐ。でも、しばらくすると、また胸の奥のほうをぎゅうっとしてほしくて、思い出の曲を聞く。そんなことをくりかえしているうちに、思い出は、幸せなのも不幸なのも、喜びも悲しみも、どれもみな淡いせつなさに包まれていることに気づく。

 今、この部屋で流れている曲もきっと、いつかわたしをこの夏に連れてくる。

Photo by MUKAI MUNETOSHI

Tags:

スライドショー, 夏, 思い出, 曲

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