時間だけは戻せない

　文明が進化して、ありとあらゆるものが発明され、いろいろなことができるようになっても、時間だけは戻せない。

　起こってしまったことはなかったことにできない。初めからやり直すこともできない。唇の外に出た言葉は帰ってこない。送ったメールも戻ってこない。

　愛する人との幸せなひとときを巻き戻して、じっくりもう一度味わうこともできないし、悲しい出来事が起こらないように遠まわりすることもできない。

　あとでこうすればよかった、ああすればよかったと思っても、時間だけは絶対に戻せない。小さな子供でも知っていることなのに、今でもときどき、はっとそれを思い出して足がすくんでしまうことがある。こんなに大人になってもやっぱり時間は戻せないのだと、そそり立つ城壁のような事実の前でうなだれてしまうことがある。

　誰もが二度と取り戻せない今を生きている。目の前に広がる数えきれない選択肢のなかからたったひとつを掬い上げる。慎重に、でも臆病にはならないように、勇気を出して一歩ずつ進む。

　ときには目をつぶってえいっと川を飛び越える。振り返った向こう岸がどんなに輝いて見えても気にとめないふりをして、前を向いて歩き続ける。今日こそ会いたい人に会い、伝えたい気持ちを伝え、力いっぱい抱きしめようと思いながら。

　時間だけは戻せない。だから後悔しないように、自分のできるかぎりのことをしようと誓う。それでも毎日、何かを悔んだり、反省したり、泣いたりあきらめたりして生きている。その一瞬一瞬が、今のわたしをつくっている。